蝉しぐれ
「五間川の川岸では、青草のいろが一日一日と濃さを増し、 春の到来は疑いがなかったが、その季節の流れを突然に 断ち切るように、日は終日灰いろの雲に隠れ、城下の町町を つめたい北風が吹きぬける日があった。 そういう日は、町なかを流れる五間川の川水に、総毛立つように こまかなさざ波が立ち、人びとに季節が冬に逆もどりした印象を あたえるものだった。 天神町のはずれにある文四郎の家を、前ぶれもなく布施鶴之助が たずねて来たのも、そんな寒い日の午後だった。」
義民が駆ける
「庭をへだてた向こうの棟から、少年たちの素読の声が 聞こえてくる。会所と同居している藩校致道館では、 いつものように授業が行なわれているようだった。 かすかなその声をのぞいて、建物は静まりかえっている。 建物の屋根のうしろに、薄もも色に染まった雲が浮かんでいる。 空気はまだ冷たいが、どこかに潤んだような気配を含んでいた。 ――春だな。と松平は思った。」
花のあと
「水面にかぶさるようにのびているたっぷりした花に、傾いた 日射しがさしかけている。 その花を、水面にくだける反射光が裏側からも照らしているので、 花は光の渦にもまれるように、まぶしく照りかがやいていた。 豪奢で、豪奢がきわまってむしろはかなげにも見える眺めだった。 以登は去るにしのびないような気持ちになっている。 これで、今年の花も見おさめかと、胸に小さく吐息をついたとき、 以登は背後に男の声を聞いた。」
又蔵の火
「 “勝負!” 大声に告げると、丑蔵は羽織を脱ぎ捨て、すばやく袴の 股立ちをとった。又蔵を鋭く注視しながら、ゆっくりと刀を抜いた。 丑蔵の刀は藤原貞行銘の二尺五寸もので、又蔵の刀より二寸長い。 この間に又蔵も、走ってさっき丑蔵が投げた自分の刀を拾い上げ、 抜き放っていた。敏捷な身ごなしだった。 又蔵は南の方、光学寺側の塀を背にして立ち、丑蔵は総穏寺脇の 蕎麦屋の側を背にして向き合った。
藤沢周平作品ゆかりの地18ヶ所には案内板が設置され、 訪れる人々を小説の舞台へと誘います。
山五十川(やまいらがわ)の玉杉 鶴岡市中心部から車で約1時間、ひっそりとした熊野神社。 その鳥居をくぐり237段の階段を登りきった正面に玉杉と呼ばれる大木があります。 遠方から見ると枝ぶりが半球状に見えることから、この名前が付いたと言われています。 高さおよそ40メートル、幹の太さ11メートル、樹齢約1500年。 この神社の御神木でもある玉杉は、国の天然記念物に指定され、地元では美しい風格から「日本一の玉杉」として親しまれています。
あつみ温泉「せせらぎの能」 毎年夏に、あつみ温泉街を流れる清流「温海川」の特設舞台で、山形に根差す伝統芸能が披露されます。 国指定重要無形民俗文化財「黒川能」や山形県指定無形民俗文化財「山戸能」の共演があります。 かがり火の中、特設水上野外ステージでの上演は大変幻想的です。 2013年の「山戸能」の様子を見られます→ビデオ