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2006年12月掲載

今、いじめを考える

提言43 ~社会全体の責任として~ 前相模原市議会議員
本間 俊三

 学校における子どもたちによるいじめは、深刻な社会問題に発展している。自殺にまで追い詰められた子、そのときまで気がつかなかった大人や教師、そして社会…。まさに今の時代を象徴しているかのようである。
 子どもには些細なけんかや悪ふざけは付き物で、成長の糧でもある。だから昔の大人たちは「子どものけんかに大人が入ることは野暮」と手を出さなかった。今の大人で、幼い頃に随分いじめられたと、懐かしむ方は結構多いと思うし、その際大人の介入はほとんどなかったのではないか。しかし今日の事態は昔と違う。子どもに任せてはいけない状況となっている。

逃げ場のない子ども
 いじめ問題の責任は一義的に学校にあると思うが、家庭や地域社会にも解決してゆく環境を整備する責任があると思う。学校はこれまで、いじめが如何に卑怯で反社会的な行為であるかを本気で教えていたか。「いじめを見て見ぬふりをすることもいじめ」と、同様に許されない行為であることを教えていただろうか。
 さらに、学校は問題を起した生徒に本気で叱っているか。事が簡単ではないことは承知している。叱られた生徒の親が学校や教育委員会に怒鳴り込んだ話はよく耳にする。また、学校や家庭はいじめられている子を一刻も早く見つけようとしたか。また見つかったとき、学校や社会に暖かく包み込む環境ができていただろうか。追い詰められ逃げ場のなくなった子どもは絶望の中で死を選んだと思う。

必要なものは
 
しかしいじめがあまりにも大きな社会問題となったからといって、教育界が過剰に反応して、教育を萎縮させてはならない。のびのびとした教育のためにも今、家庭での優しさと思いやりのしつけが求められていると思う。


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