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2005年2月掲載 ”誇り”について考える
提言21 ~お国自慢もそのひとつ~ 元相模原市議会議員
本間 俊三

故郷をおもう
 新潟中越地震で2度現地を訪れた。2度目のボランティアバスの中で、山古志村出身の男性と偶然一緒になった。
 彼は、闘牛のこと、錦鯉のこと、そして昔「村と町を繋ぐトンネルを十数年掛けて村人だけの手で堀上げたこと」等を誇らしげに話してくれた。彼の話から、彼が村を愛し強く村に誇りを持っていることが感じられた。
 私にも生まれ故郷がある。山形の小さな町であるが、その町をこよなく愛し誇りに思っている。取り立てて有名な産物や産業はないが、お米や蕎麦はとても美味しく、日本海の夕日と温泉は自慢できる。
 誇りとは「自慢に思うこと」であり、お国自慢も誇りの表れであろう。その誇りは凧糸のように私とふるさとをしっかりと繋いでいる。

日本の国への誇り
 話は変わるが今日、日本の国に誇りを持つ若者はどれだけいるのだろうか。以前、日本の若者達と海外ボランティアに行ったとき、相手国の青年を含めた交流でも強くそう思った。
 昨今、マッカーサーの「憲法」と「教育基本法」が議論になっている。戦争で勝った国は負けた国を二度と武力で立ち上がらせないようにする事と、国民としての誇りを失わせ従属国にするように努めるそうだ。
 アレキサンダーも織田信長もそうしたように、マッカーサーもそうしたと言われる。軍事力はさておき、「日本人の誇り」については、60年後の今日、彼の思惑通りになってしまったかもしれない。

【独立直後の東ティモールの学生と…】

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