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2008年10月
  28日・29日・30日

 このたび(10月28日〜30日)庄内/海坂藩と米沢を訪ねました。
海坂藩はもちろん実在する藩ではありません。作家藤沢周平が
郷里鶴岡をモデルに描き上げた東北の小藩のことです。

 私たち一行は、小説に出てくる原風景を訪ね、作品に登場する
庄内の季節の味覚を楽しみました。

 右は、地元紙『庄内日報』に掲載された当企画の記事です。


「庄内日報」より

【第一日目】 10月28日(火) 藤沢周平ゆかりの地を訪ねる
 東京駅 −(上越新幹線)− 新潟駅 −(特急)− 鶴岡駅 −(貸し切りバス)− 鶴岡市内 − 湯田川温泉
朝8時24分「MAXとき309号」で東京駅を発ち、途中新潟で「特急とき」に乗り換え日本海沿岸を北上。
昼過ぎ、鶴岡に到着した一行はバスに乗り換え市内散策をしました。
鶴岡は文豪「藤沢周平」のふるさとです。市内に散在する藤沢周平ゆかりの地を訪ねました。
まずは藤沢周平生誕記念碑の前で記念撮影

藤沢家は鶴岡近郊の農家で、現在は屋敷跡があるのみです。

藤沢作品ゆかりの地には
案内看板が立っています。
「「花のあと」の舞台となった
鶴ヶ岡城跡
「「蝉しぐれ」の舞台となった
内川(三雪橋)
「義民が駆ける」の舞台となった庄内藩校「致道館」を訪ねました。
致道館の沿革
 致道館は、9代藩主酒井忠徳(さかいただあり)が退廃した士風を刷新して藩政の振興を図るために文化2年(1805)に創設した学校です。
 当初は現在の鶴岡駅前通りにありましたが、政教一致の趣旨から文化13年(1816)10代藩主忠器(ただかた)によって鶴ヶ岡城三の丸内に位置する現在地へ移されました。約1万5千平方メートルの広大な敷地には、現存する建物のほかに神庫や養老堂、句読所をはじめ舎生の寄宿する本舎などの学舎が建てられ、武術稽古所、さらには矢場や馬場までありました。

 明治6年(1873)の廃校に至たるまでのおよそ70年間、致道館は荻生徂徠(おぎゅうそらい)の学風を伝承し、且つ孝悌忠信を重んじて武士道を体得し、互いに切磋琢磨して多くの人材を輩出しました。
 その後、時代とともに鶴岡県庁舎、鶴岡警察署、朝陽学校などの変遷を経て、昭和26年(1951)に国の史跡に指定され、昭和40年(1965)から4年間にわたる第1期保存修理の後、昭和47年(1972)から一般公開しています。

致道館玄関

ボランティアガイドが詳しく説明して下さいます。

ガイドの安達さん

移動の途中、車窓に映る虹

クラゲでは日本一の鶴岡市立加茂水族館にも立ち寄りました。
ここではノーベル賞で有名になった「お椀クラゲ」を観賞することが出来ます。

LINK

鶴岡市立加茂水族館

クラゲの動きは見ていて飽きることがありません。

「お椀クラゲ」をご覧ください。
★画像クリックでムービーがスタートします。(51秒)

この日は藤沢周平お気に入りの宿「湯田川温泉・九兵衛旅館」に泊まりました。
ここの女将は周平の教え子でもあります。またこの宿では周平直筆の作品にも出会えました。

藤沢周平直筆の作品コーナー 藤沢周平がこよなく愛した庄内悠久の味

旅館の中庭にて

夕食は、「周平ゆかりの膳」を
堪能しました。


【第二日目】 10月29日(水) 出羽三山の神秘に触れる
 湯田川温泉 −(貸し切りバス)− 山五十川 − 羽黒山 − 湯殿山仙人沢
二日目は、由緒ある郷土芸能と出羽三山の神秘に触れる一日でした。

鶴岡市の南西部に位置する山五十川(やまいらがわ)は、本間俊三とセツの
故郷です。175世帯ほどの集落ですが、ここには「山五十川歌舞伎」という
由緒ある民俗芸能が継承されています。
貴重な資料を拝見し、お話を伺いました。

山五十川歌舞伎関連記事
   
   「庄内日報」より

由来や伝承の努力などを熱く語る
三浦座長

熱のこもった三浦氏の話に聞き入る私たち

村人の皆さんと一緒に。前列左より3人目佐藤三吉代表、5人目本間英機区長

山五十川では「恋慕の舞」という美味しいお米を作っています。
佐藤三吉さんを代表とする『清流自然米研究会』が、長年完熟堆肥投入による土壌づくりで化学肥料を一切使わず、農薬を最小限に抑え、山からの清流で育った稲を昔ながらの天日乾燥で仕上げています。そのため安全であるだけでなく、歯ごたえがあって粘りがあるおいしいコメが出来上がります。米作りにこだわるこのグループをぜひ多くの方々に知って頂きたいとの思いから皆さんをご案内しました。

LINK 核酸有機天日乾燥米「恋慕の舞」

佐藤さんのプロジェクターを使っての説明

出羽三山は、月山、羽黒山、湯殿山の総称であり、古くから山岳修験の山として知られています。
開山は約1,400年前、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山に登拝し、
羽黒権現を獲得、山頂に祠を創建したのが始まりとされています。
皇子はさらに月山権現と湯殿山権現を感得し、三山の開祖となりました。
以後、羽黒派古修験道として全国に広がっていったのです。

羽黒山にある三神合祭殿

羽黒山では雨でした。

霧にかすむ羽黒山中

その後、山五十川歌舞伎にゆかりのある注連寺に立ち寄り、
“鉄門海上人”の壮絶な生き様の話を伺いました。
鉄門海上人は即神仏の御姿となり今も修行中とされています。
ここは見るだけで撮影できませんでした。

この日の宿は“湯殿山参籠所”でした。
ここは元々修験者の宿ですから朝夕には太鼓と法螺貝の音とともに神前祈祷が行われます。

雨は標高が高くなるにつれみぞれとなり、湯殿山につく頃には雪となりました。

夕やみに包まれた湯殿山大鳥居

参籠所に着いた時には日も暮れていました。

雪化粧した山々に感嘆


【第三日目】 10月30日(木) 米沢藩が誇る武将の史跡を訪ねる
 湯殿山仙人沢 −(貸し切りバス)− 米沢市内 − 米沢駅 −(山形新幹線)− 東京駅

毎日朝夕欠かさず行われる御祈祷

朝、バスに乗り込む前、大鳥居前でのワンショット

紅葉と雪景色を同時に見られ幸運でした。

三日目は2009年度NHK大河ドラマの舞台となる米沢へ向かいました。
この日は晴天。
バスの車窓には見事な紅葉が
広がります。

バスから全山紅葉の模様を満喫

振り返ると湯殿山ははるか遠くに

月山は雪化粧

紅葉の前で

昼食は米沢牛。
お肉屋さんが経営するレストラン「金剛閣」でスキヤキをいただきました。

米沢には米沢藩々主上杉氏の史跡と共に、その家臣でありながら秀吉に豊臣姓を授かった直江兼継の
史跡も散在します。
まずは上杉神社を参拝しました。
上杉謙信公を祭る上杉神社

上杉謙信公の像

上杉鷹山坐像

伝国の辞 (鷹山公が家督を譲るに当り、藩主の心得として伝授したもの)

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候

林泉寺には直江兼継(なおえかねつぐ)が奉られていました。
直江兼継は、2009年度NHK大河ドラマ“天地人”の主人公として登場する人物です。
「天地人」  原作・火坂雅志

上杉景勝の家臣でありながら、天下人・豊臣秀吉、徳川家康らを魅了した男・直江兼継。
少年時代、兼継は上杉謙信から「目先の利に捕らわれず、背筋を伸ばして生きることが“義”の精神」と教えられ、この言葉を深く心に刻むことで成長し、謙信亡き後、上杉景勝を支えながら上杉家存亡と越後の民を守る戦いに挑みます。
ひたすら利のみを求める戦国時代に、兼継は「利」になびかず主君のため、民のため、家族のために自らの理想とする「義」と「愛」を貫く生き方を志していきます。物語では、「義」を掲げる戦国の有名武将たちも兼継の周りに登場し、景勝の生き様、お船の方との夫婦愛など激動の時代に日本人の品格を守り通した兼継の波乱の人生を描いています。

   直江兼継
直江兼継の墓所 上杉神社と直江兼継の林泉寺を後にする

文豪ゆかりの地を訪ね、遠い戦国時代に思いを馳せた旅も無事終了。

帰りは山形新幹線「つばさ120号」で一直線、17時56分東京駅に到着しました。

   皆様、お疲れ様でした。

米沢駅にて名残を惜しむ


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