トップページへ戻ります。
JR町田駅南口「不法風俗街」撲滅運動
(1999年11月~2006年1月)
【概 要】

 つい最近まで、JR町田駅に隣接して、通称「たんぼ」と呼ばれる不法風俗街が存在していました。
 この風俗街、表面は単なる飲食店の集まりに見えたのですが、実は裏で売春が行われていたのです。

 これは、風紀上の問題と裏社会に資金が流れる問題に杞憂した市民と行政が一体となって、その撲滅に取り組んだ活動の記録です。

不法風俗街の怪しいネオン
普通の飲食店の様に見えるが…

【撲滅運動の経過】
■1998年6月  神奈川県警による第1次集中取締り
 当時、不法風俗街では10棟82店舗が営業していましたが、140名体勢の取締りで10人が逮捕されました。
■1998年12月  神奈川県警による第2次集中取締り
 この2回目の大規模な取締りで、経営者・暴力団総長・不動産管理業者などが逮捕され、ほとんどの店は営業を休止しました。
■1999年11月  一地権者より本間が相談を受ける
 前年の神奈川県警による大規模取締りを受けて、「これを機に、この風俗街をまともな街にしたい」と、一地権者から本間に相談がありました。これがその後の市民活動開始のきっかけでした。
■2000年1月  この地域の環境浄化の構想を練る
 当時相模原市議会議員であった本間を中心に「この地域の環境浄化と健全な街作り」の構想を練り、この最終目標を「不法風俗街の撲滅」と設定しました。
 しかし、どこの風俗街もそうであるように、営業権は又貸しに継ぐ又貸しの複雑な状態で、問題解決には多くの困難が待ち受けていることを示唆していました。
■2000年1月  「JR町田駅南口を明るく犯罪のない街にする連絡調整会」設立
 風俗街の撲滅と言っても、関係者それぞれに目的や取り組み方に思惑の差がありました。
 しかしながら、私たち市民と行政(警察や相模原市)の目的に差は無かったので、撲滅実現の早道として、警察の取り締まり行政を後押しする市民運動の形が考えられました。

連絡調整会、会議の様子
連絡調整会構成メンバー
【会長】相模原南連合防犯協会
【副会長】大野南地区自治連・大野南地区防犯協会・相模原南暴力団排除対策推進協議会
【幹事】大野南地区青少年健全育成協議会・上鶴間地区青少年健全育成協議会・上鶴間地区青少年指導員協議会・相模原南少年補導員連絡協議会・相模原南防犯指導員連絡協議会・青少年相談員大野南地区協議会・谷口小PTA・谷口中PTA・鶴園小PTA・鹿島台小PTA・自治会法人谷口自治会・自治会法人中和田自治会・町田ハイツB地区自治会・メゾン鹿島台自治会
【幹事兼事務局】発起人グループ
 この考え方を基に「JR町田駅南口を明るく犯罪のない街にする連絡調整会」(以後連絡調整会と略す)が設立されました。会の構成は右図の通りで、72団体が加盟しました。

 しかしこの頃、この市民運動が立ち上がったのとは裏腹に、風俗街では営業を再開する店が出てきました。
■2000年3月  市民決起大会開催 
 不法風俗街撲滅の決意表明と市民へのアピールを狙い、連絡調整会の音頭で市民決起大会が開催されました。
 会場は座れない人も出るほどの盛り上がりをみせ、これ以後市民大会は当運動の柱として定期的に開催されることになりました。

趣旨説明を行う佐藤初代会長

満員の会場
■2000年4月  「JR町田駅南口交番設置要望書」提出
■2000年5月  相模原市長・相模原南警察署長による現地視察
 各方面の努力で不法風俗街は壊滅に向かっていましたが、この時点でもまだ10店舗ほどが営業していました。
 この現状を相模原市長・相模原南警察署長及び関係者が視察しました。
 市長は「相模原にこんなところが…」と驚かれ、「絶対に復活させない!」と決意を語られました。

不意の視察に驚く店のスタッフ

屋内の様子
■2000年5月  神奈川新聞に「市長・署長の視察」の記事が掲載される 《記事》
■2000年6月  相模原市議会本会議で本間が市長に質す
 定例議会において、現地を視察した市長に対し、本間は感想と今後の取り組みや交番設置の考えを質しました。
市長は、風紀環境浄化と街並み整備の必要性を痛感したと答えられ、高照度防犯灯の設置、防犯カメラの設置など、市行政として出来ることは前向きに検討するとの回答を得ました。
また警察官立ち寄り所の設置についても良い回答を得ました。
■2000年8月  臨時警備出張所開設
設置された警備出張所
開設を喜ぶ関係者
 市が道路用地として取得してあった敷地に「相模原南警察署町田駅南口臨時警備出張所」が設置されました。
 これは一時的とは言え、目に見える大きな前進でした。
■2000年8月  相模経済新聞に「警備出張所開設」の記事が掲載される 《記事》  
■2000年9月  第1回街頭啓発活動
初代会長 佐藤啓久氏

第2代会長 佐藤萬行氏
 連絡調整会が主体となって、環境浄化を訴える街頭啓発活動が始まりました。
 この後、年3~4回のペースで継続的に行われることになりますが、この活動の安全を期すため警察署員が立ち会って下さいました。
■2000年10月  第2回街頭啓発活動

■2000年12月  第3回街頭啓発活動

近隣小中学校PTAや青少年育成団体も参加

制服警官も一緒にビラ配り

私もスタッフの一員として…

活動を終えて疲れ顔の面々

 この頃、警察と市民の活動に勇気を得た地権者は、建物の取り壊しを計画し、建物内への立ち入りを禁止しました。
 また、取り壊しの際には機動隊の要請も検討していました。
 しかし、残念なことに営業者側の圧力で取り壊しには至りませんでした。

これで不法風俗街撲滅かと喜んだが…

■2001年2月  第2回市民大会開催 
 第2回目の市民大会が開催されました。
定期的に開催された市民大会

私も意見を述べる
【大会開催の趣旨】
私たちの街相模原には、風俗営業などによる極めて風紀の悪化した地区が存在する。
私たちは、この地区が一日も早く、明るく安心して暮らせる街になるよう、地域の市民・警察・市・防犯協会などの協力を得て、街頭キャンペーンなどの環境浄化活動に取り組んできた。
この活動の輪を広げ、私たちの手で誰にでも誇れるような街にするために「市民大会」を開催するものである。
■2001年3月  第4回街頭啓発活動
■2001年6月  相模原市議会・相模原市長・相模原南警察署長へ陳情書提出
 連絡調整会が主体となり、自治体・防犯関連団体・小中学校やPTA・青少年育成団体などの多大な協力により、12,413人の署名が集まりました。
 この署名を添えて、相模原市議会・相模原市長・相模原南警察署長に対し、不法風俗街撲滅に向けた取り組みを求めて陳情を行いました。

佐藤会長より市長へ陳情書を提出
警察署長へ陳情書を提出
陳情書 『町田駅南口を明るく犯罪のない街にする件について』

【陳情の趣旨】
 相模原市には、通称「たんぼ」と呼ばれる風俗街が町田駅南口一帯にあります。
 不法・違法行為は目にあまるものがあり、警察行政による積極的取締りが功を奏し、数はだいぶ減少しましたが二十数軒がいまだに営業を行い、根絶の目途が立っておりません。
 相模原市議会が、相模原市に対して市のイメージアップと犯罪のない街づくりのために、積極的に取り組むべくご決定くださいますよう陳情いたします。

【陳情の理由】
 「たんぼ」一帯は、一般市民にとってきわめて風紀の悪い近寄りがたい地域と理解されております。この一帯を駅利用者や買い物の人たちが安心して通行・買い物が出来る街にするために、近隣自治会・青少年育成団体を中心とした42団体が結集して、昨年2月本会が設立し様々な活動を行ってまいりました。
 8月には相模原市と相模原南警察署のご努力により臨時警備出張所も設置され、地域住民も大いに期待し喜んだものでございます。この警備出張所設置により、不法営業している者達はそうとうに動揺したと聞きます。
 地権者が不法営業の根絶に協力を申し出ておりながら、解決できないでいる現状に鑑み、一日も早く「明るく犯罪のない街」が実現できますよう、市が積極的に且つ可能な限りの介入を行い根絶に向けた取り組みを促す決定を、相模原市議会がしてくださいますよう8,715名の署名を添えて陳情いたします。

■2001年6月  相模経済新聞に「陳情書提出」の記事が掲載される 《記事》  
■2001年7月  第5回街頭啓発活動
■2001年10月  第6回街頭啓発活動
■2001年12月  相模原市長へ具体的な対策について要望書を提出
■2001年12月  市長・署長再び現地視察へ
小川市長視察の様子

視察の後に街頭啓発活動にも参加
 3年前の取り締まりで、80店舗から10店舗まで減少していましたが、ここに来てまた数十店舗にまで復活してしまいました。
このことに危機感を持った市長と警察署長が再び現地を視察しました。
■2001年12月  第7回街頭啓発活動
■2003年1月  第8回街頭啓発活動
■2003年2月  神奈川県警による大規模集中取締り
 数年前から営業を再開する店が徐々に増え、この時点では75店舗になっていました。
そこで、神奈川県警による大規模な取締りが行われました。
■2003年8月  第9回街頭啓発活動
■2003年11月  第3回市民大会開催 
■2003年11月  相模経済新聞に「市民大会開催」の記事が掲載される 《記事》  
■2003年11月  第10回街頭啓発活動
■2003年12月  ほぼ全店閉店
■2003年12月  相模原市議会において当該土地取得を議決
 監視活動の拠点となる臨時警備出張所を道路用地に仮設置していた相模原市は、問題の地域の一角を公園用地として取得し、そこへ警備出張所を移転する計画を立てました。
 この用地買収費として、9,800万円の補正予算が計上され、議会で承認されました。
 この地域の一角の買収と、また買収目的を公園としたことが、この後不法風俗街撲滅の大きな拍車となりました。

買収した警備出張所用地(2005年5月撮影)
■2003年12月  読売新聞に「警備出張所用土地買収」の記事が掲載される 《記事》 
■2004年9月  10店舗の営業再開を確認
■2004年11月  第11回街頭啓発活動
■2005年6月  第4回市民大会開催 
■2005年7月  買収した公園内に臨時警備出張所を移設
移設された警備出張所
 待望の臨時警備出張所の移設が行われました。
 相模原市は、当用地を街区公園(上鶴間三丁目公園)と位置づけ、警備出張所の移設と同時に「防犯灯」や「防犯カメラ」を設置しました。
■2005年7月  全店閉店を南警察署が確認
■2005年9月  「相模原市安全安心街作り推進協議会」設立・街頭啓発についての役員会開催
■2005年10月  第12回街頭啓発活動
■2006年1月  遂に不法風俗街完全撲滅
不法風俗街跡地(2006年1月現在)

不法風俗街跡地(2006年8月現在)
 この1月に最後に残った2棟の取り壊しが行われ、戦後まもなく始まった不法風俗街は、ついにその幕を閉じました。
 こうして、約7年にわたり官民一体となって進めた不法風俗街撲滅運動はその目的を遂げたのです。

【活動後記】

 不法風俗街が撲滅するまでに、警察の取締りが始まって8年、民間の運動開始から7年がかかりました。
 この間、「取締りと市民活動→閉店→しばらくして再開」を何度も繰り返しました。そして今、不法風俗街は確かに消えて初期の目的は達せられました。
 民間活動の切り口を裂いた私としては、この消えた不法風俗街を前にして大変感慨深いものがあります。この成功の鍵はどこにあったかと思うとき、我々の運動が警察行政や市行政の側面支援として大きな効果があったものと確信します。
 市民大会や啓発活動に参加された方、署名集めに奔走された方、活動を理解し応援して下さった多くの市民、みんなの勝利です。
 今回の成功が、同じような環境下にある地域のモデルケースとして参考になれば幸いです。
2006年8月 本間 としぞう
 地域防犯の功績が認められ表彰

 その後のJR町田駅南口

 JR町田駅南口発砲立てこもり事件

 民間交番オープン

 
民間交番サポート隊、青パト運行開始
 提言6「不法風俗街根絶」

 提言8「勇気ある決断」

 提言24「「たんぼ」の撲滅に向けて」

 提言40「風俗街は消えた」

このページのトップへ    レポートメニューへ戻る     HOME