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中和田自治会が新聞に紹介される
掲載誌 : 神奈川新聞
掲載日 : 2012年01月6日〜9日

 中和田自治会が神奈川新聞に紹介されました。以下は掲載された記事文です。


2012年1月6日付 神奈川新聞
(特集)えにし−地域の力  相模原編(1) 中身の濃い活動実践
 スクリーンに、家々が津波に押し流される映像が繰り返し映し出された。「もう駄目だ」「止めてくれ…」。撮影者の悲痛な叫びが、泣き声に変わった。
 昨年12月11日、相模原市南区の「中和田自治会」(上鶴間本町7〜9丁目、上鶴間1、2丁目の一部)が月1回開く地区長・班長会議。報告事項の前に行われる恒例の「お役立ち講話」として、東日本大震災で被災した岩手県大船渡市などの記録映像が上映された。 「忘れないで」という制作者の意図をくみ取るように、約100人の役員はスクリーンを見詰めた。 「お役立ち講話」は、班長会議に合わせて昨年2月から開催。先進自治会の事例報告、警察官による防犯講座、民生委員との意見交換、防災講座など、「暮らしに役に立つ話題」を取り上げてきた。
 きっかけは、2010年暮れに本間俊三会長(66)がスタートさせた「加入促進運動」だ。
 同年夏、高齢者の孤独死や所在不明が社会問題化。それは「地域社会の崩壊」を意味した。「鎌倉道」が通るほど古い歴史を持ち、住民の結束か強いとされる中和田地区にも、共通する危機感だった。
 加入者は2340世帯を超え、「青パト」での防犯パトロールなど積極的に活動。震災直後には自治会として100万円超の義援金を集め、相模原市に寄託した。それでも「メリットがない」「役員が大変」と脱会する世帯は絶えず、加入率は60%を下回る。
 促進運動は「無縁社会を救うのは地域のコミュニテイ」と「地縁」を前面に出したパンフレットを作成し、役員に未加入者への勧誘を依頼。「会員数5%増」を目標に掲げた。震災で「地域の絆」かあらためて注目され、追い風が吹いたはずだった。
 だが、歯車は思うように回らない。賃貸アパートなどの住人は「仮住まい」で、もともと地縁を求めていなかった。役員からは運動自体に懐疑的な声か上がった。「輪番で仕方なく就いている役員もいる。数だけを求め、熱心な勧誘を期待したのが間違っていた」。本間会長は「まず役員に自治会のメリットを体感してもらおう」と、「数より中身」に方針転換。始めたのが「講話」だった。
 空席が目立った班長会議の出席率は、徐々に上がったという。昨年10月、2年ぶりに実施した小学校での避難所運営訓練には約110人が参加、防災意識の高まりをうかがわせた。「遠回りだか、中身の濃い活動が加入者増につながる」。本間会長は強調する。
 だが、「前例踏襲ばかり」「閉鎖的」と批判があるのも事実。歴史のある地域とはいえ、現在は他地域から移り住んだ「新住民」が8割超を占めるが、その中から会長になったのは36代目の本間会長が初めてだ。
 昨年12月の班長会議後、テーブルに酒やつまみが並べられた。前年まではなかった、ささやかな忘年会。班長の一人は、「募金集めが大変」と不満を口にした後、ふと漏らした。「地域のつながりは、安心感でもある。うっとうしいが、ないと困る。それが自治会」 (「えにし」取材班)

2012年1月7日付 神奈川新聞
(特集)えにし−地域の力  相模原編(2) 手に入れた「存在感」
 とある休日。乗用車か速度を落とし、近所の男性が窓から顔を出す。「こんにちは」。自宅前で掃き掃除をする佐藤保さん(44)にあいさつすると、またスピードを上げた。川沿いのサイクリングコースに面した庭先では、妻理恵さん(53)が散歩途中のお年寄りと世間話に花を咲かせている、この地に移り住み、3月で丸3年。保さんは初めて、「地域のつながり」を実感しでいる。
 佐藤さん一家4人が住むのは、相模原市南区上鶴間本町9丁目の新興の分譲住宅地。都県境を流れる境川の河川改修に伴う土地区画整理事業で2008年に完成した。相模原市の東端だが、東急田園都市線、小田急線、JR線の駅のほか東名高速のインターにも近い。自然も残り、120超の戸建てに子育て世代が中心に暮らす。
 転居後、佐藤さん夫妻は近隣との関わりを意識してきた。手作りのお菓子やジャム、漬物にみそをお裾分け。お返しをいただけば、会話はさらに弾む。公園で遊ぶ子どもを分け隔てなく見守り、いたずらを見つけたらしかる。「“昭和”な付き合いですよ」と理恵さん。
 加入する「中和田自治会」がこの住宅地に新しくつくった班の初代班長を09年度に務めたこともあり、転居者宅を最初に訪問するのも理恵さんだった。地域の“仲人”役を自任。ごみの出し方などだけでなく、同世代の子どもがどの家庭にいるかといった住人しか分からない情報も、積極的に伝えた。
 宮本由美(45)も、訪問を受けた一人。夫(47)が転勤族で、新しい土地自体に抵抗はなかったが、官舎以外での生活は初めて。「隣近所はどんな人なのか」と一抹の不安を覚えた。だが理恵さんの訪問で「地域にすっと入り込めた。困り事があれば、聞きにいけばいいって」。宮本さんは振り返る。今も垣根の低い関係は続く。
 佐藤さん夫妻が目指してきたのは、震災など災害も見据え、「互いの顔が分かり、困ったときに助け合える関係づくり」。なかなか溶け込めない家庭に地域の輪の中に入っでもらうには、自治会班長という“大義名分”は大いに役立った。
 それは、保さん自身にも変化をもたらした。転居前まで単身赴任が長かった保さんは、「隣人の顔も知らない」ほど地縁か薄かった。だか今では「お裾分けで交流が広がり、父親の『スイーツ友の会』もできた」と笑う。地に足の着いた存在感。ようやく于に入れた「ホームグラウンド」だった。
 東日本大震災の発生直後、理恵さんは地域内の妊婦や高齢者宅を自主的に回り、安否を確かめた。その後、「地域で防災訓練をしよう」という動きにまでは至っていない。120超の家族が集まれば、トラブルは当然、ある。どこまで「共助」が実践できるかは未知数だ。だが[頼る相手がどこにもいない、という人を地域からなくしたい」だから声掛けは、家族で続けていく。 (「えにし」取材班)

2012年1月8日付 神奈川新聞
(特集)えにし−地域の力  相模原編(3) 寂しくも「煩わしい」
 行き来するのは学生時代などの友人らで、地域の情報はインターネットや公共施設で手に入れる。約20世帯が入居するマンションの住人の顔はほとんど分からず、賃貸で「勧誘がなかったから」と自治会にも加入していない。それでも「地域での付き合いがないことに、今は不満も不安もない」。
 相模原市南区の中和田地区に住んで1年の母親(31)は、長女(1)の育児の真っ最中だ。昨夏から、市の施設「鶴園中和田こどもセンター」(上鶴間本町7丁目)で聞かれる「ふれあい親子サロン」などに参加。同世代との交流は生まれているが、まだあいさつ程度という。 「ずっとここに住むか、まだ分からない。子どもが幼稚園に上がるまでに、地域のつながりがつくれれば」。この母親は、屈託のない笑顔で話した。
 賃貸物件に住む若い世代だけでなく、積極的に「地縁」を求めない高齢者もいる。
 表札と「中和田自治会」の名簿は、夫名義のまま。中和田地区に住む女性(72)は、7年前に夫=当時(75)=が他界しで以来、孤独な生活を続けている。
 1960年結婚、40年ほど前にこの地に引っ越した。一戸建て住宅を購入したのは30年前。3人の子どもを育て、独立させた。夫の死まで、地域とのつながりはあった。
 今も隣近所と世間話はするし、自治会主催の運動会や盆踊り大会には顔を出す。だが、自分の寂しさを分かってくれる人はいない。夫に先立たれた友人が独り身の生活を満喫している姿を見るにつけ、「自分と違い過ぎる」と疎遠になった。子どもたちが訪ねでくるのは年1回あるかどうか。ふさぎ込み、心療内科に通った。
 人恋しく、日が幕れると足の神経痛を押して境川を渡り、町田駅前の繁華街に出掛ける。日付が変わるころに帰宅、テレビを見て、眠るのは明け方。この数年、そんな毎日の繰り返しだ。
 昨年3月の東日本大震災時は、自宅にいた。大きな揺れのたび、こたつの下に潜り込んだ。女性の安否を気遣ってくれた近隣住民はいなかったという。「自分の身は自分で守るしかない」。それからしばらく、「いつでも逃げられるように」と枕元に靴を置き、服を着たまま床に就いた。不安で眠れぬ夜が続いた。
 昨秋、市の独り暮らし高齢者の実態調査で、民生委員が訪ねてきた。担当の民生委員は3期目だが、今回の調査まで、この女性が独り暮らしだと知らなかったという。
 その後、民生委員が定期的に訪問、女性の様子をうかがっている。女性は「災害時にはありがたい」と思うが、今以上に近隣住民と接点を持とうとは考えていない。これから新たに人間関係をつくるのは「煩わしさが先に立つ」からだ。
 でも寂しいー。地域に 「縁」を求めない女性は今日も、繁華街に足を運ぶ。(「えにし」取材班)


2012年1月9日付 神奈川新聞
(特集)えにし−地域の力  相模原編(4) 新旧住民つなぐ核に
 走り、綱を引き、声援を送る。約1300人の参加者に笑顔が広がった。老いも若きも、男性も女性も。新住民も代々この地に住む 「地の人」も。昨年10月に開かれた「総ぐるみ運動会」。1967年から続く、相模原市南区の「中和田自治会」(本間俊三会長)の“伝統行事”だ。
 発案者は、当時自治会の体育部長だった阿部種雄さん(94)。水道が整備され、宅地開発が進んだ時代。「よそ者」とも呼ばれた新住民が急速に増えるにつれ、旧住民との問に確執が生まれていた。
  「住民の結束が強い農村の集落に、いい服を着て学歴の高い住民が移り住んだ。吹き込んできた新しい風をよけようとした」。当時の旧住民側の心情を、阿部さんは代弁する。だからこそ「新旧の住民が交流できる地域に」と運動会を思い立った。タイトルに冠した「総ぐるみ」には、そんな願いが込められていた。
 それから半世紀近くを経た2012年元日。中和田地区の鎮守・長鴫神社(上鶴間本町9丁目)には、日付が変わる前から地域住民ら200人超が初詣をしようと列をつくっでいた。おはやしが鳴り響く中、氏神に新年の無事を祈願し、お神酒や甘酒で体を温めた。列は、午前1時半すぎまで途切れることなく続いた。
 家族4人で参拝した松井大さん(25)は「小学生のころから毎年お参りしている。ここに来ないと年が明けた気がしない」。この地区に住んで24年。自身の「ふるさと」を実感する瞬間でもある。
 参拝客を迎え他のは、草柳陸司氏子代表(76)ら約100人の役員。この神社ではほかにも、子ども相撲に演芸大会、みこしなどさまざまな祭事が行われ、いずれも中和田自治会の各班から選出された役員が手作りで運営する。 「自治会と神社は一体」(草柳総代長)というものの、組織のあり方に不満を持つ住民もおり、氏子数は自治会加入世帯を800ほど下回る約1500世帯。一方、新住民の流入で祭事は年々、にぎわいを増している。草柳総代長は「祭事で地域の歴史と伝統に触れ、新住民にこの土地がふるさとだと思ってほしい。それが地域の活性化にもつながる」と力を込める。
 「歴史」に託す思いは、阿部さんの実践にも共通する。阿部さんは18年ほど前から毎年、中和田地区内の市立鶴園小学校で講師を務めている。テーマはすばり「地域の歴史」。「今はビルがたくさん立っているが、昔はここから相模大野駅が見えたんだ」。阿部さんの小学校時代の暮らしや地域の様子に、児童は身を乗り出して聞き入るという。
 児童の多くは新住民の核家族。祖父母も親も、地域の歴史を教えられない。阿部さんは「みんなのおじいちゃん」であり、ふるさとの原風景の語り部というわけだ。
 半世紀前から新旧住民の交流に心を砕いてきた阿部さん。「歴史を知ることで、地域の絆は強まる」。そう信じ、今後も子どもたちに地域の歴史を伝えていく心積もりだ。(この連載は佐藤奇平、佐藤将人、高田俊吾が担当しました。住民と行政が協働で安心・安全のまちづくりを進める「セーフコミュニティー」の取り組みを報告する第2部は、2月に掲載する予定です)

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