トップページへ戻ります。
2006年5月掲載 議員の通信簿
提言36 ~触らぬ神にたたりなし~ 元相模原市議会議員
本間 俊三

 ピカピカの1年生が真新しい大きなランドセルを背負って上級生に前後を守られるように登校する。はにかみながらも誇らしげに見える。春らしい風景である。期待に胸膨らませ、張り切っていた新入生にも、7月になれば“学校からの評価”、通信簿という現実の厳しい社会が待っている。
 企業にあって社員は会社や上司による評価や考査が、その企業は社会や消費者から経営の姿勢や製品・商品についてが評価される。社会や消費者から良い評価を受けた企業は栄え、消費者を欺いた企業は社会から抹殺されることを、ライブドアや耐震強度偽装事件などで改めて知らされた。通信簿と社会の評価を同列に語ることに無理があるかもしれないが、評価するものとされるものが登場する点では共通している。

あるグループの取り組み
 地方議員の評価に「議員の通信簿」という形で入り込んだグループがある。評価の基準は知らされてなく、当初は議会での居眠りや私語など、議場での態度が対象だったので思い当たる節のある人は苦々しく思う程度で済んだ。次第に野党側に甘く、与党側に厳しい評価がつくと感じられるようになると「不公平」との声が出た。学校の通信簿は点数ではっきりしているし、企業や製品に対する消費者の評価も見方で違うことはあまり無い。対して議員の評価はどうだろう。考えには右から左まで幅が広い。グループの意に添わない考えの議員はどのような評価をされるだろう。

議員に打つ手なし
 グループは議員に対する評価やコメントを大量に印刷し、公民館などの公的場所に置くという強力な武器を持っている。たたかれる議員に打つ手はなく、グループの機嫌をとるか、そっとして機嫌を損ねないようにするのが精一杯である。議員は減点を恐れ考えや信念を失ってはならない。一方武器を持ったものにはそれなりの自覚と節度が必要だ。


コラムメニューへ戻る     HOME